社長blog

2019/02/26

(無題)

夢をカタチにして売る商売

笑顔を創造する仕事

が本来の業

ですが、今日はそんな話ではないことを

お詫びします。

前職の同期入社が亡くなりました。

同期30何人かいたのですが、遂にというか

初めて、空に旅立った人になりました。

私が別府の独身寮にいた時、多分隣の部屋だったのではないかと思います。

朝風呂でよく会いました。隣の店でした。

名前が同じ字で

お互い

やっちゃん

と呼んでました。彼は

やすおちゃん

とも言ってたかな…

今でも覚えてるのが

草野球の試合をしてた時、相手は丸食さんのチームでした。

私はレフトを守ってました。

大学の時野球部でファーストとレフトを守ってましたので、まぁ普通に守れます。

野球の外野やってた人はフライをとる練習を当然するときに、まず落下点に一秒でも早く到達することを心がけます。

その時、打球音や打ち出し角度、飛距離、方向などを瞬時に測定して、ボールを見ずにまずは駆け出しますよね。

守備位置より5mから6mくらい後方に落ちるな

と思えば、カーンという打球が上がった瞬間まず後ろを向き走り出すわけです。ボールを見ていようもんなら、頭を越えて長打になってしまうから…

前説が長くなりましたが

そんな当たりを相手に打たれた時に

私はごく普通に

先ほどの通りに後ろを向いてダッシュ的に走り、まぁ余裕を持ってフライを捕って、涼しい顔でベンチに帰った時、

彼が

『後藤くん、すごいね!打球も見ずに捕るなんて!』

みたいなことをとても感動した顔で言ってくれたんです。

なんか

その時

大学で野球やっててよかったな~~

と自分自身誇らしげに思ったのを鮮明に覚えてます。

その頃2年目か3年目くらいのペーペーでしたので、人に褒められる事はからっきしなかった…

けど

やっちゃんが満面の笑みで褒めてくれた

そんな35年ほど前の事。

よく覚えているシーンです。

それを思い出させた

彼のあまりにも残念な旅立ちでした…

久しぶりに人前で泣きました。

ご遺族の方は分かってくれてたみたいでした。

棺の中の顔は

ほんと

いつもの

あの優しい笑顔でした。

それだけに悲しさが倍増しました。

1つの企業に転籍すると

情報弱者になってしまい

誰かが体調を崩した、病に伏した

ということがなかなか耳に入ってきません。

自分にアンテナが無いのが悪いのですが、

お見舞いに行けなかった自分が情けないです。

一言でも二言でも話したかった…

もしかしたら

快方に向かった可能性もゼロではなかったのでは

と思ってしまう無念さがあります。

ご冥福をお祈りします

という言葉

この言葉しか言えないのがとても辛いですね。あんまりこの言葉が好きでは無い自分がいます。

というかこの言葉に終着するのでしょうか…

空の上では

もう辛い痛み、治療もなくなりました!

あの笑顔で

時々

私を

叱咤激励してくださいね!

今までほんとありがとうございました。

                            後藤  康男   拝

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